7/21 増補版 2019
 久留里昔物語

事実に基づいて、商店の人情味あふれるお話です
出会いのある町久留里

原作者、一筆太郎  

 
     平成から令和時代に入ろうとしている、
 
今から100年たったらのお話です。 


 

    ここ、久留里の水は名水百選に
選ばれています。 
     
      清澄・三石山から降った水が
天然地下水を通ってくる水です。

第一話 お茶屋さんがした事            物語に出てくる商店

お茶屋さん、 呉服店さん、 総菜屋さん、
カフェーレストランさん、 酒屋さん
百貨店さん

ほか 交流センター、 郵便局
隣町の人

第二話 人口が249人だった          
第三話 心優しい商店主           
第四話 月に2回久留里を訪れていた女性           
第五話 四季折々の久留里           
第六話 久留里商店はすごい!           
第七話 超一級品の対応する店員さん           
第八話 久留里に隠された謎           
第九話 奇跡がおきた!           
第十話 これぞまさしく久留里商人            
続編   激動の久留里            
 
1 .物語の実在する人物
2. 一筆太郎プロフィール
3. 夢の世界へタイムスリップ
4. 一筆太郎の人物
           
久留里に行こう! 長い道のりだが! さあ! 久留里に向かって!   

第一話



久留里の伝説は人から人へ伝わっているのじゃ!
インターネットが始まった間もないころの平成30年頃、久留里はそれは〃人間味のあふれていたところだった。
町は緩やかに時を忘れるような、生活をしていた。
久留里は水が良いので健康になる街として知られていた。

久留里は昭和の時代を戦後と言う背景を背負ってどうやって生き延びていくかを模索して、人々は一生懸命がんばっていた。
心の中はいつも悲しい、どうやって生きていくのか。

みんなで力を合わせて頑張りぬいた。
そして や が て 心に春がおとずれた。


お茶屋に顔を出せば一杯飲んで行けと見ず知らずの旅人に、急ぐな安心の旅をと、無料でお茶を飲ませていた。
それはそれは本当に美味しいお茶だったそうだ。
人にお茶を無料で振る舞うとは儲けを度外しした、
誰もが簡単に出来ることではない。

自分さえ良ければいいと言うさつばつとした世の中に「人の為に」。
ん~ん! なんてすごい事か。

旅人は元気をもらって城に向かって行ったそうだ。
旅人の心はやさしさのあまり涙を誘われ、乱れのないふりをしていた。
城からの帰りすがら何度もなんどもお茶屋をみて振り返って、拝むように深く頭をさげていた。

後にその優しさが心の中で息づいて、一生涯忘れる事なく立派な人になったそうだ。
旅人は多くの人に伝え、孫から孫へと語り継がれている。

お茶屋がした事は人を案ずる立派な事だ。

店主はお茶屋にふさわしい品性があった。
その品性こそがお茶を美味しくさせる原因ではないだろうか。
また代々の家系は、城下町にふさわしい美男美女であることも知られていた。

このお茶屋はお茶の出し方に隠された、人を引き付ける、心を安定させる技をもっていた。
それはお茶にたいする日々の研究と努力があったに違いない。
人々から愛された超一級品のお茶屋だった。
連日このお茶屋を目指して多くの人が訪れていたそうだ。

なぜ多くの人がおとずれたのか、
代々受け継がれてきた家訓がある。
それは「 朝茶はその日の難のがれ」。一杯のお茶を飲んでからでも遅くないと言う意味だ。
この家訓を守って、訪れる多くの人を和ませていたのだ。

店主は人には忙しさを見せず、ゆったりとお客の対応をしていた。
このゆったり感が、お客の心を和ませ、明日への鋭気を与えていたことは間違いないようだ。
本来忙しいはずが、このような応対とはすごい事だ。
丁寧なお客への応対。
丁寧なお茶の入れ方。
店主自身が丁寧な生き方をしていたから出来ていた。
だから超一級と言われた、久留里を誇れるお茶やだった。

丁寧とは実践して人に伝わっていたような気がする。
久留里の歴史を紐解くと多くの商店が語られている。
その商店の中でも、お茶屋の丁寧さは揺るぎないようだ。

このように久留里には心優しい、人として立派な人が大勢いたんだ!


烏天狗のように一本下駄を履いて町を闊歩している人もいた。
商店主は闊歩出来るように教えていたそうだ!


駅前の観光交流センターにいけば、久留里の事を教えてくれる美女がいたんだ。
それはそれは丁寧に教えていた。
久留里城近くに住んでいた、侍みたいな男も、理屈ぽっく教えていた。

観光交流センターは江戸時代で言えば関所のような所だった。
関所は身分を調べてから久留里の街にはいれた。

江戸時代以降、商人のがんばりと力があって、
老若男女全ての人に分け隔てなく、大歓迎のおもてなしをするようになった。

センター内は男女3人で交代しながら旅人に説明に追われていた。
世の中にはマニアル通り案内をする人が多くいるが、ここの案内人はちょっと違うぞ。
旅人の目線にたって説明をしている。
説明はただの道案内ではない。四季に応じて説明は変わっていた。

案内人は久留里で生まれ育ち、久留里を知り尽くしていた。
訪れてくる人を瞬時に読み取り、何を求めているかを感じとり、的確に話をしていた。
だから説明には納得していた。

旅人はあまりにも、分かりやすい説明に、心うきうきして、100才を超えようとするお年寄りまでも、歩く姿はラン、ラン、ラン、とまるでスキップ状態であった。
そのうち大きな動きをする久留里音頭を踊りだすのではないかと思うようであった。
心は完全に背中に大きな翼を付けて久留里の澄み渡った大空を飛んでいる。

年老いた旅人のどうしようもない心の寂しさを払拭させていた。
案内人は旅人に心の翼まであたえるとはなんて凄い事だ。

旅人は久留里を心の「ふるさと」になったのではないだろうか。
久留里の駅で久留里の街をもう一度振り返って、二両編成の電車に乗って、窓越しに何度も何度も、振り返って別れを惜しむかのように久留里を後にした。
旅人は何度もなんども涙が自然にながれていた。
久留里にすてきな想い出をのこして、あの時に戻りたい、あの素晴らしい愛に包まれた時をもう一度! と旅人の哀愁があった。

「人は人生につまずいて、夢やぶれて、悲しんで、苦しんで、寂しく、そして何かを求めて生きている」 それを癒してくれるのが久留里であった。

旅人が久留里で楽しんで、帰る時に、こんなに親切にしてくれる人に会えたと、うれし涙がこぼれているのではないだろうか。
帰る道すがらきっとまた来ると心に決めているのでは。

会話がこれほどまでに、元気にさせるとは凄い事だ。

交流センターは多いときには何百人も訪れていた。

案内人は久留里の移り変わっていくに従って常に見識を広めていた。
この事が旅人を満足をさせていた。

案内人は、どんなに多くの人が訪れても、疲れを知らない子供のように笑顔を絶やすことなく対応していた。
なんてすごいことか。

旅人はその親切、丁寧な対応に心をうたれ、何度も久留里に訪れていたそうだ。
また旅人は案内人に会いたい思いで来ている人が大勢いた。
「あなたに会えて本当によかった」そのような気持ちではなかったのではないだろうか。

それは一体どのような対応だったのか。

分かることは、
親切、丁寧に対応することが、真っ先に観光交流センターに寄りたいと思う気持ちであろう。

旅行とは一度行ったら、次は違うところに行こうと思う。

しか~し
旅人を何回も久留里に来させるとは、案内人の、親切、丁寧、そして優しさもあったに違いない。
街の商人と共に、案内人も久留里の街をささえていたからこそ久留里がにぎわっていたのである。
久留里観光交流センターが街の発展に大きな役割をはたしていた事は紛れもない事実であった。
旅人は一生涯案内人を忘れることなく、 吐息が聞こえてくるようである。

人様に接すると言う事はこのような事だと、現代の人に教えてくれているような気がする。


今じゃ、ロボットが教えている。砂をかむような味気ない話しじゃないか。

久留里城に行く途中の呉服屋の塀は昔ながらの石垣で見事なもんじゃった。
その頃はまだお屋敷が数多くのこっていたんだ。


第二話



久留里城の下にはお城に仕えた田丸家があり、庭には上側と下側に池が2つあった。
侍が出てくるような、それはそれは立派なお屋敷だった。
お屋敷から出る湧き水は人々が水を汲みにきていたそうだ。

当時お屋敷を守るために3人の女性が掃除をしていた。
侍みたいな男は火縄銃をもって玄関わきにいて、見ず知らずの人が来た時に応対していたそうだ。

他県の人まで、当時は車で久留里に来て楽しんでいた。栄えていたところだった。
今じゃ、背中に器具を付けて空を飛んでくるようになった。情緒もなくなったな!

今は10万人もいるが、当時の久留里の人口は249人、だが世の中が休日となれば、にぎわっていた。城下町らしいだろ~。
何しろ元気な町だったそうだ!また久留里は美男、美女が多く住んでいたそうだ。
よそからお嫁さんを探しにきていたそうだ。


商店街の入り口にある商店はまるで小さくした百貨店であった。
日常生活品を中心に多種類を扱っていた。
店主はそれはそれはお客に優しく応対をしていた。
お客はその優しさに魅かれ、近くの人だけではない、遠くからも来ていた。

久留里ならではの、エプロン、ほうき、茶器。竹背負い籠、贈答品、漬物がところ狭しと並んでいた。
取り揃えはお客の要望に合わせた研究しつくしたものばかりだ。

独自の商品の取り揃えにお客は大満足して買って帰ったそうだ。
お客の満足度は商品だけではない。
店主の心優しい気持ちの付加価値があったからだ。

凄い事はお客様の満足のために新しい商品の企画を常にしている事だった。
時代を先読みして、提灯からご贈答品に変えるなど、状況にあわせての品ぞろえだった。

店主の素晴らしさはこれだけではない。
自分のところで、手一杯なのに、他店が困っていれば、気持ちの共有をしていた。
なんて心の広い事か。


久留里の商人は自分だけが良いのではなく、ほかのお店も良くなってもらいたいと言う精神がある。
それは人に対して思いやりの気持ちがあった。
多くの商店が長く続けられる原因はこの精神にあった。



第三話



町の商店は「まちゼミ」と称して自分たちが習得したものを、無料で人々におしえていた。
心優しい商店主がおおかったんだ。
店主ときたら、店は女に任せて人の世話ばかりやいていたそうだ。

久留里は生活するのになんでもあった。
銀行、郵便局、さかなや、呉服屋、お茶屋、病院、電気屋、そのほかなんでもあったそうだ。
久留里の人は久留里以外に行くことが少なく、すべて生活ができたそうだ。

久留里が良くて遠くから毎週来ている人も数多くいたそうだ。買い物も久留里でしたそうだ。
よく観光地に行くと観光客用に金額が高いところもあるだろう。

久留里はちょっと違うぞ!
商店の良いところは、観光客にも地元の人と同じ値段で販売している事だ。
時には地元の人より、厚く応対している。損していないかとお客が心配するほどだったそうだ。

商店の街並みは久留里城を中心に街がつくられた。
これは城を守るためのつくりだ。
道幅は狭く、商店は奥行きを長くした。
隣との塀のような境はない。
商店裏にいけば、きれいな庭と共に、生活感がある。
この生活感こそが、お客に安心感と親密感が漂わせていた。

旅人にとってはこの生活感が、心の癒しであり、ここにずーといたいと言う希望であったような気がする。
久留里は何回訪れても終わりのない旅だった。

久留里は千葉県房総半島の中央にある。
久留里は中央に位置するため、外房、内房のすべてに行くのに久留里を通らなければならなかった。

第四話



月に2回隣町から電車とバスを乗り継いで久留里を訪れる女性がいたそうだ。
ゆったりとした足取りで街並みを歩いて、買い物を楽しんでいた。
久留里の人間性にひかれ、ほかのどこよりも楽しく過ごせるところだったそうだ。
久留里はこのような人に大切に守られていたのかもしれない。

久留里は大変おおらかな人が住んでいたそうだ。
生活に余裕があったから、学問があったから、頭が良かったから、健康だったから、
もしかすると自然の美味しい水を飲んでいたからそうなったのかもしれない。
未だに解明されていない、城下町に隠された謎である。

久留里は穏やかな人が多く、隣近所が仲良く、争いごとのない町でも有名であった。
事件事故らしいことがないので警察署は暇を持て余していたほどだった。

久留里の人々は、人の為に生きる事に自覚をもっていたからである。


第五話



四季折々の景色を見ながら街並みを歩くことが出来た。
水も四季同様にさわやかな味わいがあった。
人とのすれ違いも、にこやかに挨拶も交わしていた。

秋になれば枯れ葉が街並みを鮮やかに演出してくれた。
道沿いの川は色とりどりの落ち葉が、絨毯に引き詰めたようだった。
川は透き通ったエメラルドグリーンで旅人の心を和ませていた。

そんな中、四季を問わず、美味しいアイス氷を食べる楽しみもあった。

商店街のほぼ中央にある総菜屋は人間味あふれていた。
この商店は連日連夜、お客でにぎわっていた。

家庭で調理される手作りのおかずを売っていた。
ただ美味しいだけではない、心温まるおかずだった。
食卓は一家団らんで食べれる本当に美味しい味を演出してくれたそうだ。
店主はお客との会話が素晴らしかったそうだ。
お客に買ってもらうための接客はない。

世間話と食料品の説明である。
これこそが本来の自営業者ではないであろうか。
久留里を代表する商店はたくさんあるが、この商店はもっとも代表される商店であった。
お客からはいつまでもやっていてくれとの声が大であった。

凄い事はここの食材は健康が促進し、病気にはならないと評判であった。
お客の心を完全につかんでいたようだ。

店主はお店を続けなければ困るお客さんがいると言っていたそうだ。
儲けを度外した「人の為」ではないだろうか。
商売に対して熱意と決意があったからこそ、お客から信頼を得ていたのである。
まさしくこれぞ一級と言われる商人だ!

かんばん犬も一役かってお客を虜にしていた。
犬がお客を呼ぶとはすごいことだ。
有名な渋谷のハチ公も凄いがここのかんばん犬も劣らずだった。
それほど愛されていた「いぬ」だった。


今は歩く事さえしないで、みんな上空を飛んでいる。
上からの目線で久留里を見ている。
街並みを歩いての目線はもうなくなっている。
 ん~、むなしい話しだ。


第六話



久留里商店はすごい!なりけり。(なりけりとはだったそうだ。)
商店は毎年まちゼミをおこなっていた。
商店主とお客様の信頼関係が構築されていて大きな飛躍があった。
商店主の会話がたまらなくお客が多く来ていたそうだ。
これぞ商売の極意を商店は知っていた。
これぞ正しく商売のだいご味である。

いらっしゃいません!ありがとうございました!だけじゃなかった。
信頼と言う付加価値を店主は知っていた。

今はロボットが挨拶をしている。
つまらない商売をしている。
いつしかお客もそっけなくなっている。
そしてお客は離れていっている。

人の心もインターネット環境に翻弄されている。
ネット時代だからこそ、ネットを上手に活用し、人間関係を大切にすることが必要になってくる。
ネットが出来れば良いでは人との気持ちが希薄になっていく。
人間としての生き方に現代人は考えるときが来ている。

久留里の人は心と心が通う人間としての生き方をちゃんと出来ている。
それを実践している。すごいことだ。
久留里がなぜ栄えていたかと言うと、人との会話に、安らぎがあったからだ。

人間もロボットみたいに心も感情もなくなってしまった。


第七話



商店の店員は決まりきったようにいらっしゃいません、ありがとうございましたとお客に応対している。

しか~し、
久留里商店街の中央にあった呉服屋の店員はすごかった。
お客を読み取り、距離感を絶妙にとって超一級品の対応をしていた。

物腰が柔らかく、笑顔を絶やすことのない丁寧な説明にはびっくりしたものだった。
このように人に優しく出来る人こそ本当の美人ではないであろうか。
この美人を目当てに多くの人が訪れていた。

呉服屋を盛り立てていたのも店員が大きな役割をはたしていた事は間違いないようだ。
店員が外商にいけば良く来てくれたと容易に注文を受けていた。
店員が積み重ねてきたお客との信頼関係があるからこそ出来ることだった。
お客は「あなたからぜひ買いたい」そんな思いだったのではないだろうか。

分かりやすい親切な店員の会話が楽しかったのでお客は何度も店に訪れていたそうだ。

お客に対して販売するだけではなく、優しい心が勇気と感動を与えていた。
心ある人とはこのような人かも知れない。
それは人から人へ伝説として残っている店員だった。
久留里の商店を代表する逸才であったことは間違いないようだ。

商店主と店員との調和がとれているから成り立っていた。
商店経営の素晴らしさが浮き彫りになっていたご服屋だった。

これぞ正しく久留里ブランドであった。

商人とは何かの極意をしっていたようだ。
現代でも学ぶところが大ではないだろうか。


ロボットのあいさつでは何も始まらない。


第八話



久留里はおおらかな人が多かった。
生活に余裕があったから、
学問があったから、
地位があったから、
頭が良かったから、
健康だったから、それもあったんだ。

城下町に隠された、未だに解明されていない謎である。

訪れた人は、穏やかな川の流れのように人柄に心を奪われたそうだ。
旅人は人間の生き方は何かを教えられて帰ったそうだ。

久留里を訪れた人は常に久留里を忘れず、何かを求めて何度も訪れたそうだ。

自然を満喫出来る久留里は、人に優しい心を与えていたそうだ。


第九話



久留里は紅茶の美味しさでも、旅人の心をつかんでいた。
日夜、紅茶の研究に没頭していた女性がいたんだ。
紅茶ソムリエとか何とか言う資格をもっていたそうだ。

紅茶に資格なんてと思う人がいた。
旅人は飲んで納得したそうだ。

お城に行った旅人は喉と、心を潤すために寄ったそうだ。

特に寒いとき、雪が降りしきる時は多くの旅人が訪れ、心優しい店主は忙しくても一人 〃に笑顔で応対していたそうだ。
旅人は紅茶と笑顔に心まで癒されていたそうだ。

紅茶で人の心まで癒すとはすごい事だ。


商店街を木更津方面に行くと何とかと言うカタカナの看板の商店があった。
久留里商店にふさわしい、より優れたお酒を売っていた。
酒蔵と提携してその時々の季節にあった酒を仕入れていた。
店主は自ら酒を堪能して、お客に説明をしていた。
気さくな店主と評判がよかった。

店主はお客の心をよみとり、接客も、お客を喜ばしていた。
まさに酒を買うならこの店だと遠くからも買いに来ていたそうだ。

まちゼミではこのお酒にはこのおつまみが合うと教えていた。
季節によって酒粕を販売していた。
酒粕の販売もトップクラスの販売をしていたそうだ。


この商店に多くのお客が来店する事はなぜだろ。
お客さんに親切に対応している事だけだったのだろうか。

ある時、
店主は車の運転中にとっさの判断で車を避けようとし、道路わきの川に転落してしまった。
通りがかった人は、川をのぞきこみ、だめかと思ったそうだ。

川の水は運転席までいっきに顔の近くまで入ってきた。
だめだ、だめかもしれないと店主は思ったそうだ。

奇跡はおきた!

後部席からドアの開ける音がした。
助かった。
怪我らしい怪我がなく生還したのである。
店主は九死に一生を得たのである。

その出来事は瞬く間に街の人に伝わった。

そして人々は、それ以来、幸運な店主にあやかろうと、連日連夜店がにぎわってたそうだ。

店並びのお地蔵さまも店主に長くお店をしてほしいとの願いもあったのではないだろうか。

久留里の人は「人の為に」生きていることが、災難ごとが、幸いに変わっていくのです。

この商店から分かる事は、まじめに、こつこつと仕事をする。
じみちに生活を送る事を教えてくれているようだ。


第十話



久留里は行事や催しものが多い事でも有名だった。

財産を擦りへらしてまで行事や催しものをしていたそうだ。
それも後先を考えずにだ!

これぞ正しく久留里の商人だ!
お城に仕えていた、ど根性なのかもしれない。

行事や催しもので成果がなくても、ただひたすらに頑張る姿には、旅人も心をうたれていたようだ。

これぞ久留里魂だ!


続編



久留里の商人は、大正、昭和、令和と激動の世の中をたくましく生きぬいてきた!
明日の事を考えられず、今日を生きるために必死に、何一つ文句を言わず働いていた。

家は雨風をしのげれば良いと、隣家と気持ちを共有してきた。
隣家が困っていれば、お互いが助けあっていた。
苦しいことも、悲しいことも、お互い慰めあっていた。

隣家の母親が病気で入院すれば、母親代わりに食事をつくって持って行ったそうだ。
互いに相手を大切にし、協力し合う関係である。
人と人との和を大切にする、これが久留里の人間愛だ。

人は時には人の迷惑を顧みず、人はどうでも良い。
うるおいや、あたたかみが感じられない現代がまだ少しだけ存在している。

久留里の人は人の幸せを願っている。
願いをもっているからこそ心の豊かさがある。
そのようになるにはどうしてもたどり着けない何かがある。
きっと久留里で生まれ育った、心にしみついている生き方なのかもしれない。


食べるものと言えば、さつまいもと少しのお米だ。
子供には苦労させまいと、時には親は、自分は食べなくても子供にはたべさせていた。
病気の時だけは、貯蓄をしているわずかなお金で卵、リンゴ、ヨーグルトを買い、子供に食べさせていた。


家族みんなで楽しく食卓が出来たのは、お城のお祭りの時だけであった。

子供たちは学校から帰ってくるとすぐに親の手伝いをしていた。
子供たちの幸せと言えば親といっしょに手伝いをすることだった。
現代のように、あれが欲しい、これも欲しいなど一言も言わなかった。


母さんは一生懸命頑張っている子供たちの幸せを念じて台所で泣いていることもあった。
そんな時子供が母さんを見て、母さん何泣いているのと聞くと、母さんは、泣いてなんかいないよ。
ご飯の窯の煙が目に入っただけだよ。
母と子はお互いに心の共有をしていた。
美しい親子関係じゃないか。

子供たちは親の苦労をしっているので、人様に対して思いやりのある立派な子供が多かった。
子供たちは、親を大切にして本当の親孝行をしていた。
親孝行とは物をあげるとかではない。
心の共有である。
これぞまさしく本当の親孝行と言う事を久留里の子供たちは知っていた。

久留里の家庭はみんな明るかった。
なぜだろう、それは「人の為に」と言う考え方をしていた。
心が穏やかなのはそのせいだった。
その考え方は自分より人様を優先していた。

子供たちは少しの食べ物も、友達に先にあげていた。
このようだから子供たちの争いごとがなく、楽しく遊んでいた。
現代でも学ばなければならないことだ。

親と子が一体となって生活をし、共に助け合いがあった。
この教育こそ現代が学ばなければならない事かも知れない。


地位がある人も決して誇らしげに言う事がなかった。
みんなお互いに理解し合い、生活をしていた。
これが現代まで続いている、国宝級の久留里だ。


商人はもうけなど度外して人々の為に働いていた。
そこには「人の為に」これが久留里商人だ。
商売を長く続けられる原因はここにあった。


悲しいときも、苦しいときも、久留里城を見つめて、心を慰めていた。
この生き方こそ、心の世界遺産と言われる久留里である。

久留里は代々受け継がれてきた「人の為に」の人間教育が今も続いている。


現代人が、心の世界遺産の久留里を見本にしているのは何だろう。
少しだけ解明されてきたのは、人に対する思いやりと、人間としての生き方を教えてくれているような気がする。

まだまだ解明されていない事が久留里にはある。
それは久留里に訪れてあなた自身が実感して解明してはどうでしょうか。
お茶屋さん、呉服屋さん、郵便局さんに訪れるのも一つの方法かも知れません。


世の中で言う地位、名誉、財産はやがてなくなっていく。

久留里に思う事は、
一生懸命頑張った能力と同じで、「人の為に」は心の中にあるのでなくなることがない。
久留里はそのような人間の生き方を社会の見本になっているような気がする。

歴史ある久留里の商人に接すればひもとけることがある。
目立った事がなくても、一生懸命「人の為に」生きている人が、本当の幸せを感じているような気がする。

久留里で人の為にが成り立っているのは人口が少ないからである。
人口が多いと成り立たなくなる。

久留里の人々は他人の哀しみを自分の悲しみとして、感受する自然の温もりがあった。
100年前の久留里が現代の私たちに、今はどうかと問いかけているように思える。
哀しみは外面的悲しみであり、悲しみは内面的悲しみである。


「人の為に」は、

知恵のある人は知恵をだす。
体が丈夫な人は体の弱い人の力になる。
健康な人は健康になるように手助けをする。
困っている人にはアイデアをだす。


世の中は自分の為にばかり考えていると、結局自分の為になっていないことが多い。
人の為だと思ってやったことが、まわりまわって、自分のところに帰ってくる。

心ある人は人の為にしている人を見逃すことはない。

義を軽んじ、利のみを追求した人は淘汰される。

久留里の人口が249人しかいなかったのに、商店がなぜ栄えていたのであろうか。
それは商店主が苦労に苦労を重ねた事だったのではないであろうか。
当時の商店は店に入ると、情緒纏綿(ジョウショテンメン)があったからである。


商売は繁盛しすぎても後々良い結果にならないときがある。
程程の商売が出来ていれば、人に対しても優しくできるような気がする。
商売の程程とは、良いときと悪いときが交差して、明日また頑張ろうと考えていく。
久留里の商人はこれを知っていたのであえて大きな冒険をしなかった。
着実に程程の商売をしていたからこそ現代まで続いている、国宝級の久留里が存在しているのではないだろうか。

伝説を紐解くと久留里の商人は、
久留里に生まれ育って、商売が出来てほんとによかったと感じていたと言われている。
だから商売にたいして、前向きにがんばっていた。

当時の久留里の商人は「これが日本だ!私の久留里だ!」と言う想いだと思う。
それほだ良き時代を感じていたと思う。
そして空に陽が昇ると商人は働きだし、その繰り返しは生きていることに楽しくて仕方がなかったのだと思う。

日本の過疎化が進む中、
国宝級の素晴らしき久留里はこれからも脈々と続くであろう、この人間力を誰にも止める事はできない。


完結!

1.
物語は実存する事を構成してつくりました。登場する人物は実存しています。
第1話 6人 第2話 4人 第4話 1人 第5話 2人 第7話 3人 第9話 2人  計17人

2.
************************************************************** 
一筆太郎
久留里のすばらしさを後世に残ればと思い執筆しました。
プロフィール: 
母親は与謝野晶子さんの教えを被られていました。
私は幼少期から文学に興味を抱いていました。
決して優秀な子供時代ではなく、落ちこぼれだったと思います。
日々日記、作文を書いていました。
高校時代は私の作文を授業でとりあげて頂いて、先生が読んでくれました。
幼少期を過ごした東京都杉並区の自宅近くには井伏鱒二さん、与謝野鉄幹さん 晶子さん、
太宰治さん、宗像志功さんが住んでいました。
自宅から一駅離れたところに、川端康成さん、松本清張さんが住んでいました。
東京都杉並区は文学者が住み移ってきていたところでした。
当時は久留里に似ている地域でした。
メイン通りから一歩裏に入ると、池、雑木林、畑が点在していたところでした。
************************************************************** 


3.
夢の世界へタイムスリップ。
100年後のお話です。

2119年 久留里城から「久留里昔話」の古文書が見つかる。
2120年 ベスト小説になり、あらゆる賞を受賞。
2121年 久留里は日本で注目を集める。
2122年 久留里は世界遺産に登録される。
2123年 全世界の文学者が久留里を訪れる。
2124年 映画化される。
2125年 映画は全世界へと広がる。
2126年 日本の小学校の教科書の教育の一環として載る。
2127年 世界を動かした、登場人物の写真が各家庭の家に飾られる。
2128年 登場人物はお城に銅像と石碑が立つ。
2129年 連日連夜その銅像と石碑を目当てに人がお参りにくる。
2130年 登場したお店は列をなして繁盛する。
2131年 久留里は永久不滅で1万年も続くと予想される。
 


4.
一筆太郎の人物は久留里をこよなく愛した小説家であった。
月に何回も久留里を訪れ、街並みを歩きながら商店に顔を出しては店主と会話を楽しんでいた。 
町の人には妙計奇策で知られていた。
一筆太郎が好きだった言葉は、「なせば為る 成さねば為らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」 (上杉鷹山)

一筆太郎の格言
困難は人生をおもしろくし、それを乗り越えることは人生を有意義にする。
どれだけの年月を生きたのではなく、どう生きたかが重要である。
 
人生で大切な事は無理をせず自然の流れに任せ,人の為に生きる事だ。
一生涯どれだけの人と信頼関係を結ばれたか、これに尽きる。

一太郎があるく、
久留里の街並みをゆっくり 〃 歩く。
そのゆっくりの一日が、100日分歩いたようになる。
次に訪れた時にゆっくり 〃 〃 昔の久留里はどうだったかと思いながら歩くと、100年分になる。
70才の人ならば、170年も生き続けているように思える。

目先の事ばかり考えていると人生あっと言うまに年をとってしまう。
人生いそぐことはない、ゆっくりとだ。 

晩年はなりふり構わず質素であった。
語り継がれている一筆太郎は久留里の人々の事を自慢であったようだ。