教育
君津学園 真板 益夫 理事長に聞く                    清和大学 理事長室にて
「教育に全てをかける
千葉県出身  中央大学 法学部卒

木更津総合高等学校・市原中央高等学校・清和大学法学部・清和大学短期大学創立者
文部大臣表彰3回  藍綬褒章 木更津市名誉市民
藍綬褒章】
教育
衛生・殖産開発などの事業を興し、公衆の利益に功績著明な者、または公共の事務に勤勉し労効顕著な者に与えられる[広辞苑より]

編集局 こんにちは!
理事長:  どうぞ こちらへお掛け下さい
編集局 きょうは先生の少年時代からお伺いしたいと思います
理事長:  家計を助ける為に自宅の炭焼きをしたり、兄弟の面倒をみたりしていました、特に炭焼きは寝ないで番をすることもしばしばで、子供には過酷な労働でした
この時に培われた根性が今までの私を支えてくれているのだと思います
 
編集局 苦労なさったのですね 
 少年時代の印象に残る出来事を一つ教えてください
理事長:  小学3年生だったかと思いますが学芸会がありました
主役の一人が急に病気で出られなくなりました
その時に担任の先生が職員室に私を呼んで、「益夫さんならやれるから
やってごらんなさい」と仰いました(おっしゃ)
先生の期待を裏切らないようにと、徹夜で台詞(だいし セリフ)を一生懸命暗記しました

学芸会が終わって「上手にやれましたね」と先生が私をほめてくれました
この言葉がとてもうれしく、今でも印象に残っています

編集局 ほめられる事はうれしくて次のステップアップへとにつながりますね
 東京に行かれたのは!
理事長:  16才の時です 
貧乏人には学問が必要と感じていました

東京に行けば何とかなる 
母親に相談して東京に
行くことにしました 
知り合いがいない東京です 
心細い毎日でした 
それでも何とか一花咲かせて故郷に帰りたい 
この一心でした 
薬局で働いたり、家庭教師をしたりしながら、寝る時間を惜しんで勉強をしました

編集局 なぜ学校を設立しようと思ったのですか
理事長:  1945年終戦の年、軍服姿で復員してきて木更津駅頭に立ちました
街には溢れる青少年に活気が見られません 
この時に、彼らに学問が必要だと強く感じたのです
よし!学校を作って教育を行おう!
 
これが今日への出発点でした
はじめに英語講習所をつくりました

編集局 いよいよ学校設立ですね!
理事長:  設立する場所も資金もありません 
ただ一心に学校を設立したいという思いだけです
「当たって砕けろ」 そういう気持ちでした
朝早く起きて、自転車で木更津市内を隅から隅まで土地探しの日が続きました
何日も走り回り、やっと土地を見つけ、お借りすることができました
土地は農地のため、整地をしなければなりません  
リヤカーを借りてきて、石灰ガラを積んで整地しました 

編集局 大変な事に挑戦ですね!
理事長:  私には「何事も一人で成し遂げる」という人生哲学のようなものがあります
無論学校をたてる資金もない 
銀行に行ったが取り合ってもくれない

ある銀行の頭取が大学の先輩に当たるとことを知りました
よし!頼みに行こう
やっとの思い出でお借りできました

編集局 多くの苦労の上に今日の立派な学校があるのですね ・・・・・
 では理事長の目指す教育とは何でしょうか
理事長:  私が掲げているのは「まごころ教育」です
個々の人間性の全人的形成を目指して、それぞれの個性がもつ立派な可能性を自然に開発伸張できるように育成する教育です

編集局 きょうは良いお話を本当に有り難うございました

編集局 今回取材させて頂いた理由の一つに、木更津総合高等学校では学校創立者がまだご健在で、その創立者のもとで生徒さんが学園生活を送れている、ということに着目したことが挙げられます   
全てをかけてこられた学校教育が、どのように成し遂げられたのかよく分かりました
人の中には、真板理事長にはオーラがある、と言う人もいます
私が感じたのは、真板理事長は人間として本当に心の優しい、思いやりのある教育者であるということでした
20051028